創業天保元年 6代目 ものづくりが好きな 兼子石材店 ポンコツ店主が書く 自分の想いと自己満足劇場のブログです。
なぜ石屋を継いだのか?
高校3年になった時ぐらいの時やったか、
ある日親父が、
「後継ぐんやったら岡崎に修業に行け、後継がんかったら大学に行け。」
って言われた。
その頃はまだ何がしたいとかなかったんやけど、
親父のその一言で決めた!
「石屋するわ。」
なぜ継いだかと言うと、
・岡崎に行ける=家から出られる。
・大学まで行って勉強したくない。
と言う単純な考えで後を継ぎました。
継となったら親父が、
「修業行くなら、墓は機械を覚えたら作れる、
燈籠はワシが作れるし教えたる、
彫刻はちょっと勉強せんとできんし、
彫刻出来たら何でもできる、
ほやで彫刻屋に行け。」
と言われた。
ワシとしては家が出られたらどこでも良かったんですが、
親父が岡崎の機械やさんに三軒彫刻石屋を教えてもらった。
夏休みに親父と二人で岡崎にその三軒の彫刻石屋を見に行って来た。
どこが良いか自分では分からない。
最後は親父が決めてくれた。
「成瀬石材商会(株)」
今は廃業されて無くなってしまったんですが、
当時は養成工が八人ぐらいいて、職人さんも四人ぐらいいた。
石屋なら知らない人がいないぐらいの有名店でした。
修業に行くと一年目は雑用や掃除。
先輩の手伝いなんかもしなくてはならない。
夜は訓練校の石材科で週三日勉強と、
夢見ていた暮らしとは、ほど遠かった(笑)
学生時代もそんなに絵が上手い訳でもなく、
粘土細工なんか大嫌いでしたが、
二年目ぐらいから、
雑用や掃除もしなくてよくなり、
作る事が段々面白くなってきた。
後は年が経って行くにつれて色んな物を作らせてもらえる様になり、
楽しくてしょうが無かった。
一年目は早く帰りたいといつも思っていましたが、
最後は帰りたくないとず~と思っていました。
家に帰ってからも加工する事が多く、
親父に色んな物を作らされました。
墓石の仕事も嫌いではないのですが、
やっぱり「作る」って言う事が一番好きです。
ワシは親父よりも商売が下手(笑)
後はそこをどうするか。
日本石材産業協会(元滋賀県支部長)
全国石材技能士会(理事)
滋賀県石材組合連合会(副会長)
滋賀県技能士会(副会長)
など色んな所で今でも修業中です(笑)
頑張るのみです!