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「お彼岸前なんで、昔の兼子石材店は?!」

「お彼岸前なんで、昔の兼子石材店は?!」

創業天保元年 6代目 兼子石材店 ポンコツ店主が書く 自分の想いと自己満足劇場のブログです。

お彼岸前なんで昔の兼子石材店について、ワシの親父から聞いた話だけですが書いてみたいと思います。

親父のおじいさんの大吉。

「石大」の屋号の元になった石屋の大吉さん。

この頃はワシの住んでいる地域でも今よりも多く石屋があったらしい。

その中でも大きい石屋さんの弟子やったらしい。

この大吉さん、家の仕事に行っている時でも雨が降ってきたら隣の家が干している米を片付けたりする位人が良かったらしい。

反対に大吉さんの嫁さんはうちの地域で一番うるさい人やったとか(笑)

次にワシのおじいさんの庄吉。

やり手やったらしくその頃寝泊まりしてる職人と通いの職人もいて大きくやっていたらしい。

腕もよく流れもんの石屋が「雇ってくれ。」と言って来たら同じものを一緒に作ったらしい。

庄吉さんの作ったものを見てあまりの上手さに帰って行く職人もいたらしい。

記念碑 近江八幡市安土町常楽寺 沙沙貴神社
忠魂碑 近江八幡市島町

(忠魂碑は親父とおじいさんとの合作)

頭もよくて商売も上手やったらしい。

「高いけどええ仕事する石屋。」で通っていたらしい。

庄吉さんは金儲けも上手やったらしく今でいういくらかは分かりませんが家三軒建てる位の金を明治銀行倒産で預金0になったらしい。

庄吉さん、1週間ほど寝込まはったそうです(笑)

そりゃそうなるは(笑)

一時はそれ位金があったんで昔のこのあたりの人はうちは金持ってると思っているらしい。

明治銀行倒産で全然金がないのに(笑)

庄吉さんの奥さんは面倒見が良くて優しい人やったらしい。

物乞いの人にも飯を食わすぐらいの人やったみたいです。

住み込みで来ていた流れ者の職人が違う所で窃盗で捕まった時もうちの店だけは

「庄吉さんの奥さんがすごく大事にしてくれたんで何も盗まなかった。」と警察で話したとか。

うちの親父は庄吉さんの腕のいい所だけは受け継いだ。

商売は庄吉さんと比べても全然アカンと自分でも言うとった。

ほんまに親父が作ったものも色々と見てきたけどほんまに上手に作ってる。

社標 近江八幡市安土町常楽寺 沙沙貴神社 東参道

ワシは親父の商売の下手な所は受け継いだみたいや(笑)

技術は庄吉、親父と受け継がれてきたけど、ワシももっと精進していきたい。

爺さんの商売上手な所をちょっとでもいいので受け継いでいたらなぁと思う今日この頃でした(笑)

皆さんもお彼岸にご家族でご先祖様のお話でもしてみたらどうですか!

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