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「なぜ家業の石屋を継いだのか!? 2/2」

「なぜ家業の石屋を継いだのか!? 2/2」

創業天保元年 6代目 兼子石材店 ポンコツ店主が書く 自分の想いと自己満足劇場のブログです。

昨日の続きです。

親父はいつも買っている岡崎の道具屋さんにどこの彫刻屋がいいか聞いていた。

三軒あったので夏休みに岡崎に見に行った。

親父の第一希望は、一人でやっておられて来年結婚するので取れないという事でした。

後二軒はワシの行くことになる成瀬石材商会(株)、人もたくさん働いていて養成工もたくさんいた。

もう一軒もよく似た感じの店でした。

最後は成瀬石材商会(株)になったんですがワシが決めたわけではありません(笑)

という事で成瀬石材商会(株)でお世話になる事になりました。

入って1年目は雑用がほとんどで面白くない毎日。

朝起きたら部屋の掃除から始まります。

終わったら朝飯の準備。

準備と言っても料理は親方の奥さんがやってくれてて茶碗と湯呑、箸を並べてご飯をよそう。

食べ終わると片付けて工場まで運転。

工場に着くとシャッターを開け、ふいごの火起こし。

もちろん昼ごはんの準備や3時の休憩のジュースを買いに行ったり仕事終わりに皆の道具を片付けてシャッターを閉め運転して帰る。

帰ったら夕飯の準備とやることだらけ。

夜には週2、3日訓練校で学科の勉強。

その他にも色々と用事があります。

仕事もするんですがチョットしたら雑用や兄弟子の手伝いで面白くない。

そんなこんなで半年が過ぎた頃一人入社してきた。

そのおかげで雑用をしなくていいようになった。

一日中仕事をちゃんとできるようになる。

初めは先輩が作った狛犬の仕上げばかり。

作る事もあったが途中で先輩と変わって仕上げと少しづつですが作るようになってきた。

二年目になると作る側になって来た。

段々作る事が面白くなってきた。

たまに変わったものも作らせてもらえる様にもなった。

三年目になると作る事が面白すぎてきた。

変わったものも結構作らせてもらえる様になり、余計に面白くなる。

その勢いで約6年岡崎にいた。

最後は帰るのがいやになる位彫刻が面白かった。

ほぼやる気なしで行った岡崎。

でも最後には彫刻にはまっていました(笑)

今でも作る事は大好きです!

色々な仕事させて頂きます。

よろしくお願いいたします。

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