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「なぜ家業の石屋を継いだのか!? 1/2」

「なぜ家業の石屋を継いだのか!? 1/2」

創業天保元年 6代目 兼子石材店 ポンコツ店主が書く 自分の想いと自己満足劇場のブログです。

なぜ兼子石材店を継いだのか?

何もワシが継いだら6代目、長く続いているから後を継いだ訳ではありません。

動機はほんまにしょうもない事からでした(笑)

中学校の時は継ぐ気は全然ありませんでした。

高校は工業高校に行きたかったんですが母親に「後継ぐか、何の仕事するか分からんから普通科の高校に行け。」と言われる。

なので普通科の高校に進学したが別に何がしたいという事もなく就職か進学か決めなければならなくなった時になって来た。

両親に「別に後は継がんでもええ、その代わり就職するんやったら大学に行け、後継ぐんやったら岡崎に修業に行け。」

と言われた。

その時ワシは「大学行ってまで勉強したくない、岡崎行ったら家出られる。」と言うほんまにアホな簡単な考えで岡崎修業を選んだ。

修業行ったらしんどいとか何にも考えず、ただ単に家を出られると言う事だけで後を継ぐ事を決めた。

家出たら遊びまわってても仕事さえしてたら怒られへんやろうと言うほんまに安易な考えで岡崎に行った。

岡崎の石屋はワシが行った頃は約300軒と言われていた。

その中のどの店にお世話になるかを決める時、親父が「墓石は機械が使えたら出来る、燈籠はワシが作れるし教えられる、

彫刻は教えてもらわんと出来ないから彫刻屋に行け。」

と言われる。

ワシは学校の美術が良かったわけでもなく、何なら粘土なんかは嫌いでした。

「まあ家出られるしええか。」のノリで行き先の店は親父が決めてくれた。

家を出られたら OK位のノリで後を継ぐと決めた位やから店はどこでも良かった(笑)

行った店は、今は廃業されていますがその当時は大きな商売をされていた「成瀬石材商会(株)」に入社。

狛犬・狐・仏像などの彫刻専門店。

中でも狛犬と言えば成瀬と言う位全国に知れ渡っていた店でした。

親方は卓越技能賞・黄綬褒章などももらわれ色んな組合の長もされてこられたすごい人でした。

もちろん仕事も素晴らしい腕を持っておられました。

今回はここまで!

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